気が付けば、山の中にいた。
何度検証しても記憶にはない景色。
鬱蒼と茂った木々と其処に潜む生き物の濃厚な気配に息が詰まりそうに
なる。
どこまで行っても舗装された道はなく、音を頼りに探し出した川には橋
の一つも掛かっていない。
それでも、水さえあればとりあえず何とかなる。
其処を基点にして枯れ木を拾い、火を起こした。
物珍しさに負けて喫煙の習慣もないのに大枚はたいて購入した某ロボッ
トアニメの図案のZippoを握り締め、己の酔狂さをこのときばかりは感
謝した。流石に木切れを擦り合わせて火を起こす自信はない。
……それにしても、ここはどこだ。
木が湿っていたのか、多少燻った煙をあげてはいるもののなんとか焚き火
らしく燃え上がる火を眺めながら、溜息を吐く。
友人と洋服を買いに行こうと家を出、電車に乗った。
そこまではいつもどおり、何の兆しもなかった。休日の朝という時間帯の
常でがら空きなシートの一隅に陣取り、程なくして襲ってきた睡魔に身を
委ねたのも、変わりない。
待ち合わせは終着駅であるから乗り過ごす心配もなく、は鞄を抱き
しめて心置きなく瞼を閉じた。
しかし、妙な肌寒さを感じて目を覚ました彼女の視界に入ってきたのは見
慣れた駅のホームなどではなく。
鬱蒼と生い茂る森の中、一際大きな樹の幹に寄りかかって寝ていたのだと
気付いた時の驚きといったらなかった。
の記憶にあるもっとも近場にある鄙びた町でさえ、彼女が向かって
いた場所からは車で移動して1時間近くかかる。が、携帯電話を開いて確認
した時刻は最寄り駅についてから20分と経っていなかった。仮に1時間経過
していたとしても、その町の近くにこのように行けども行けども人の手が
入っている気色すらない深い森など、ない。
「なんなの、ここ。どうなってるの?!」
と泣き叫んでもおかしくない状況で、しかしパニックを起こすでもなく、
座り込み怯えるでもなく、冷静に周囲の探索を始め、川端で焚き火を見つ
めるという人間は、どこまでも割り切りと切替えが早かった。
一意奮闘
……それにしても、お腹が空いたな。
川に辿り着く途中に手に入れた食べられそうな木の実をじっと見つめる。
広げたハンカチに一杯あり、これが全部食べられるとしたらそこそこ腹の
足しにはなりそうだ。
一応、バッグの中には小袋入りのビスケットやら板チョコやらが入ってい
るものの、現在地が判らない以上、これは本当にいざというときの非常食
として残しておきたい、と周囲を物色した成果だ。
その中の一つ、一番多く収穫したさくらんぼに似た実を川で洗って一つ口
に入れてみる 変な味がしたらすぐに吐き出せるよう恐る恐る と、
甘酸っぱくてなかなかイケる。それに気を良くして次に小さな葡萄のよう
につぶつぶした実を同じように口に入れると、甘い汁気がじゅわっと口の
中に広がった。
「うわ、これ美味し…」
他にも、これだけは見知っていたキイチゴも中々に甘く熟していた。
多少の失敗はあったものの、概ねどれも味見の成果は上々で、これならと
本格的に食べようとした矢先に、それは聞こえてきた。
バシャーーンッ
「ん?」
どこか離れた所かららしい、質量のあるものが水に落ちたような音。
けれどそれが落ち着いてからは他に何も聞こえない。
岩でも崩れて落ちたのか…? 首を傾げつつ川へ目を向けていると、目に
飛び込んできたのは、
紅。
川にはありえないその色彩に脳は一瞬『金魚?』と現実逃避しかけるが、
そうではない。
「な、あ、ちがっ! 人!!」
人が、流されてる。
紅いのはその人が纏っている服のようだった。
「ちょっ、待って!!」
観察している間もその人はどんどん流されていく。
泳いでいるのではないらしい。動きがない。意識がないのか。
はハンカチも何もかも放り出してざぶざぶと水の中に飛び込んだ。
目の前の紅は近いように見えるのに中々辿り着けない。
「っだーーーっ! ちょっと、待って!!」
待てと言ったところで水の流れが止まる訳がないが、それでもつい叫んで
しまう。が、余りにも必死なの形相に川の神様が怯んだのか哀れん
だのか、とにかくも運良く川面にせり出した木の枝に紅い人の足が引っか
かって流れが止まった。
「やった!」
ありがとう川の神様!
いるのかどうか定かじゃない存在に心の中で手を合わせておいて、
は目一杯腕を伸ばした。
指先が、辛うじてジャケットらしき服の襟に引っかかる。
「んんーーっ」
ぐっと引けば、枝から外れた体がまた流れに押されての肩が抜けそ
うなほど重みを増した。それでも離すわけにはいかないと、離してたまる
ものかと唸りながらも必死で紅い体を引っ張って、一歩一歩、人命救助す
るには頼りなさ過ぎる歩を岸へと進める。
が、しかし。
「嘘ぉっ?!」
行きと帰りで方向が違ったから気付かなかったのだろう、すぐ近くの岩影
に、こちらは全身黒っぽい服装の人間がぐったりとして引っかかっている。
どう見てもあちらも要救助対象であることは確かで。
「ああああああ! っもう! ちくしょう!」
幸い、黒い彼のほうは岩にしっかり引っかかっていてまだ時間は稼げそう
な感じだ。
とにかく紅い人を先にと萎えそうな足に必死で力を篭め、やっと辿り着い
た岸辺にその身体を横たえる 少しばかり乱暴に投げたのは勘弁して欲
しい と、荒い息を整える間も惜しんで、再び流れの中へと飛び込んで
いった。
次頁
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写真提供:月兎風灰様